Round

-ラウンダーズテニス活動記録-

名古屋ラウンダーズテニスの活動記録(全部じゃないけどね。)
ちょっと写真入りにしてみました。
毎週はきびしいんで、適度に更新ね!
Round 22
「プチプチラウンダーズ杯」
 2003年2月1日。
しばらく試合から遠ざかっていたゲーム好きメンバー12名が集まり、午前の練習後、リーグ式でゲームを行った。
 優勝はZERO&ようこペア。特にようこは久しぶりのテニスにも関わらず、絶好調!
 逆に男ダブのヒロカズ&NTペアは絶不調。悲しい結果に終わる。男ダブには最初から0−15で試合を始めるという相手にハンデを与えるルールが適用されたが、この二人に関してはあまりにも哀れな内容の為、それが途中から適用外となった。
 また、3位に食い込んだごつ&ユキチペアの活躍にも非常に注目が集まった。ユキチがとりあえず拾ってつなぎごつがフォアで押しまくるストローク戦に持ち込む展開で相手ボレーに対抗。強打するペアを苦しませた。
 110番&じゅんの男ペアに5−6で惜敗しゲーム差で惜しくも2位に甘んじたものの。内容的には非常に評価できる二人であった。
 今後、相手によってポーチに出れる瞬発力と強いサービスを身につければ、今後更に強くなるペアに違いない。
優勝:ZERO&ようこ
準優勝:110番&じゅん
3位:ごつ&ユキチ

ゆず& 萌萌 ごつ&ユキチ NY&akakaba ZERO&ようこ ヒロカズ&NT 110番&じゅん
ゆず& 萌萌 5-6 6-5 1-6 6-0 2-6
ごつ& ユキチ 6-5 6-2 6-5 6-1 5-6
NY&akakaba 5-6 2-6 0-6 3-6 2-6
ZERO& ようこ 6-1 5-6 6-0 6-0 6-5
ヒロカズ&NT 0-6 1-6 6-3 0-6 2-6
110番&じゅん 6-2 6-5 6-2 5-6 6-2
Round 21
「サーティオール対抗戦」
 2002年11月4日。
 サーフェスはアンツーカ。ハードコートでの活動が多いラウンダーズではあったが、とても感触の良い土のコートで名古屋市北部で活動するテニスサークル「サーティオール」との対抗試合に臨んだ。
 両チーム合わせて30名弱が参加。
 気温が低く、待ち時間が大変であったが、それでも怪我人も無く無事に終了!
 結果は24勝9敗でラウンダーズの勝利に終わる。
 今回特筆すべきは、特にラウンダーズに入ったと同時にテニスを始めた面々や、勝ち星にずっと恵まれなかったメンバー達が健闘!かつてない粘りの試合を展開し、見事に勝利をものにした。
 試合はとにかく楽しんでやる事が大事!結果は後からついてくる!普段の練習結果を存分に発揮できた試合となった。

サーティオールの皆さんと!
Round 20
「クロスロード対抗戦」
 2002年9月29日。
 秋雨による天候が心配されたが、ラウンダーズとしての4回目の公式戦となる岐阜に本拠地を置くテニスサークル「クロスロード」との試合が行われた。
 両チーム合わせて56名が参加。岐阜羽島の簡保レクセンターにおいて激しいバトルが繰り広げられた。
 午前中はミックスダブルス、午後からは男子ダブルス、女子ダブルスで計30試合が行われ、結果は23勝7敗でラウンダーズの勝利であった。
 しかし、クロスロードの人々はラウンダーズと年齢層も近くノリの波長も抜群で、試合後の食事会はさながら合コン状態!
 普段モテないラウンダーズの男子メンバーも、クロスロードの美女たちとこの晩は特別に楽しいひとときを過ごした。またやりたいね!合コン!…じゃなくて交流試合!

クロスロードの皆さんと!
Round 19
「レッツ対抗戦」
 2002年6月8日。
 ラウンダーズ結成から11ヶ月。予てからの念願であった、大所帯サークル。「Let's」との対抗試合の日を迎えた。
 両チームを合わせ、延べ60名弱が参加した。
 始めての大規模な対抗試合。面数は6面を使い、ミックス、男子ダブルス、女子ダブルスで公式戦20試合余り、エキシビションで30試合余りをこなした。
 公式戦の結果は1勝差で辛くもラウンダーズが勝ち越したが、ビジターメンバーの活躍が多くレギュラーメンバーに取っては非常に多くの課題が残る結果であった。
特に、Let'sの上級者選手層の厚さにはビックリ!
その後の懇親会でも、今までの対戦相手には見られないものすごいノリの面々に更にビックリの一日であった。

Let'sの皆さんと!
ound 18
「ラウンダーズ杯」
 2002年4月29日。
 ゴールデンウィーク真っ只中のこの日、稲永公園のコートは閑散としていた。
 多くの人々が、行楽にでかけている中、テニス大好きなラウンダーズメンバーは初のチーム内対抗試合。そう、名付けて「ラウンダーズ杯」を開催した。
 延べダブルスに19名、シングルスに16名がエントリーし日頃の練習の成果を試しあった。


         シングルス・結果

           優勝 110番

           準優勝 やぶ


ダブルスは隣りです…。
ダブルス・決勝トーナメント結果

優勝

ゆず&JAPAN

準優勝
やぶ&コバッチ

3位
NT&110番

4位
なる&たけ
ぷーさんブロック
予選通過 1位 やぶ&コバッチ
    2位 なる&たけ
KIKI&ZERO やぶ&こば もえ&ゆう なる&たけ Kana&ゴト
KIKI&ZERO 2−4 3−4 1−4 4−1
やぶ&こば 4−2 4−1 4−2 4−1
もえ&ゆう 4−3 1−4 2−4 2−4
なる&たけ 4−1 2−4 4−2 4−2
Kana&ゴト 1−4 1−4 4−2 2−4
テディさんブロック
予選通過 1位 ゆず&JAPAN
     2位 NT&110
ゆず&JAPAN ヒロカズ&じゅん NT&110 Coke&けい バンド&S井
ゆず&JAPAN 4−0 4−3 4−1 4−3
ヒロ&じゅん 0−4 4−3 4−2 3−4
NT&110 3−4 3−4 4−3 4−1
Coke&けい 1−4 2−4 3−4 1−4
バンド&S井 3−4 4−3 1−4 4−1
ound 17
「ウィナーズ対抗戦」
 2002年3月9日。
 もう何度か試合経験をつんでいたラウンダーズの面々であったが、この日は(も)相当な苦戦を強いられるだろうと誰もが考えていた。この日110番のセッティングによるテニスチーム・ウィナーズとの対抗戦であった。
 鋭いサーブを連発する男性陣、また、女性陣もレベルの差は一目瞭然であった。
 しかし、蓋を開けてみれば8勝10敗。負け越しではあったものの、なかなかの健闘であった。特に男性上級者陣の奮闘は特筆すべきものであった。
 テニス後は、打ち上げ飲み会。
 普段から良く飲んでいるラウンダーズ。夜の対戦には自信があった我々だったが…。
 丸一日テニスで疲れ果てていた我々に対し、ウィナーズの面々は夜でも元気!一次会を終了し、帰ろうかなモードの我々であったが、「もういっちょ行こう!」更にまた飲みに行くという彼等に、またしても敗北を喫した我々であった…。 

ウィナーズの皆さん。ありがとうございました!
ound 16
「DoubleLine対抗戦」
 2001年12月9日。
 この日、僕等にとっては久々の対抗試合の日であった。相手はNYさんが紹介してくれた、「DoubleLine」というテニスチーム。
 今まで数多くの対抗試合を行ってきたが、その度に「負け越し」という辛酸を舐めてきた僕等であった。
 しかし、それ以降も練習を重ね、「やっぱりテニスをやるからには勝ちたい」という思いでやってきた。
 男子の最初の試合でNT&Kanaコンビが見事勝利すると、後に続く男性陣も勝利。Yabu&Kコンビは惜しくも6-5で敗北を喫するが、見事な試合内容であった。
 女子に至っては、負けなしの完勝で終わった。
 その後、ミックス等で試合を継続して行ったりしたが、皆が満足した内容でテニスをする事ができた。
 「勝ってよかった。」ホッと胸をなでおろすNTであったが、勝者全員にビール一杯を約束していたがために、自分へのご褒美代が皆への祝杯代に変わってしまう。
(T−T)。


ちょっと懐かしい、勝利を知らない頃のラウンダーズ…。
ound 15
「KAZU再び…。」
 2001年11月23日。
 常緑樹の中に、紅葉をたくわえた樹木が入り混じる緑とオレンジのコントラストが山肌を覆う美しい滋賀のテニスコートで、我々は再びあの初代コーチKAZU氏とテニスをする機会に恵まれる。
 寒いことが予想されたが、思ったほどは寒くなく、快適なテニスができた。
 特に、Mayu、Akakaba両氏の練習熱心さには、男性陣も刺激を受けた。
 12月に対抗試合が予定されているが、この調子なら何とか健闘できそうである。
 ZERO君、Akakabaさん、りえちゃん。幹事お疲れ様!とても良い場所だったよ!
 Cokeさん、とても素晴らしい新車だね!堪能させてもらいました、仕事との事で途中で帰らなくなってしまって残念でした。また行きましょう!
 ただし、夜中でもスピードは控えめに…。
(From 温泉に一緒に乗ったメンバー一同)

2001.11.24 第2回ラウンダーズ合宿
ound 13
「大失態」
 2001年11月4日。
 8:30過ぎ。カラッとした秋晴れの枇杷島コートに、ラウンダーズのメンバーは集まってきた。「この週末の為に、一週間頑張ってるんだよなぁ!」NTの愛車の助手席でそう話すAkakaba。そう、僕等はこの日を本当に楽しみにしている…。車から降り、秋の清々しい空気を二つの肺いっぱいに吸い込む…。素晴らしいテニス日和だ。
 しかし、コートに入ると不可解な人々の存在に気づく。何故か我々の使うはずのコートに人が…。
 少しの不安も感じずに、抗議の為コートに向かうNTとラウンダーズの面々。
 しかし、彼らはその5分後。顔を赤らめてコートを後にする事になる…。
「枇杷島橋コートA 午後
 利用券にはしっかりとそう書かれていたのである…。
ound 14
「どうした!Yabu&Kana!」
 2001年11月11日。
 善南公園は涼しさを通り越してやや寒気の感じられる空気であった。が…。
 その寒さにやられたのか…。来週日曜にトーナメントを控えたYabu&Kanaのダブルスチームに対し、様々な男子ダブルスが練習試合で胸を貸した。ところが…。
 初戦で前回トーナメント2位クラス優勝の純平&Zeroコンビに4対2で敗れたのを皮切りに、続いて戦ったNT&Zeroコンビには4−0、その次に対戦したけい&KIKIコンビにまで4−0で敗れるという結果…。
 「集中力が全く感じられない!」
 Zeroコーチの厳しい言葉に声も出ない二人。まるで「ガチンコテニス道」とも言うべき光景。
 練習ではしっかり打てるのに…。
 下唇を噛みしめるYABUを、星明子の如くベンチの裏から涙を浮かべながら見守るNTであった。
ound 11
「一社公園」
 2001年8月14日。
 名東区での初の活動。この日、過去最高の15名が参加した。 そんな中、Akakabaさんもコツコツとボレーの練習。見る見るうちに確率が上がる…。その初々しいひたむきな姿に、私はしなやかな女の初々しい美しさを見た…。
 私はそんな二人の美しさに胸を打たれつつ。暑さに頭をクラクラさせながら、ろくにテニスもせず、余計なことばかり考えている一人の真夏の30男であった。
 
ound 12
「フォーエヴァー・Kazu」
 2001年8月。
 一人の男に、運命のその時は近づきつつあった。
 ラウンダーズの設立前からのメンバーの一人であったKAZU氏。チーム随一のサウスポープレーヤーであるKAZU氏に、長野への急遽転勤命令が出されたのは、まだ夏の日差しが肌に痛い8月中旬の頃であった。チーム結成直後のヘッドコーチの突然の異動に、チームの一同は動揺を隠せなかった…。
 
ound 9
「港北公園」

 2001年7月28日。7月最後のラウンダーズテニス。
 港北公園は地下鉄の駅から近く、車等の交通手段を持たないメンバーにはうってつけの場所である。
 それでいて駐車スペースはしっかりと確保されているので車で来るメンバーにも丁度良い。「なかなか良い場所だな。」コートへと戻る。コートは2面が囲まれていて、隣にフェンスで囲まれた壁打ちのスペースがしっかりと確保されている。試合に負けた人間が反省打ちしたり可愛い新人を連れ込んで特訓という名目でツーショットに持ち込むにはピッタリの場所も用意されている。「いいコートじゃないか!」そうしているうちに、ちょっとお腹が鳴り出した。「ちょっとトイレに行くか…。」あせってはみっともない。ちょっと余裕を見せつつおもむろにトイレに行き大きい方のドアを開ける。しかし、なんとそこには…。
 
ound 10
「Yabu&Zeroデビュー戦」

 2001年8月5日。トーナメント公式戦。
 メンバーのYabu君、Zero君が代表としてトーナメント試合のコートに立った。
 試合前、緊張の色を隠せない二人であったが、初戦いきなり2ゲームの先取に成功する。相手は、鋭いショットを持っているものの、調子が出ないのか拙攻が続いていた。が、途中で調子を取り戻したのか反撃に転じ、5−5まで取ったり取られたりのシーソーゲームが続いた。途中苦しい場面が続いたものの、最後の2ゲームを奪い取り、見事二人は初出場初勝利を手に入れた。
 その後の2試合は負けてしまったが、レベルの高い試合でよく戦った。
 ラウンダーズにとっての対外試合初勝利であった。
ound 7
「灼熱の稲永」
 2001年7月14日。
 「暑い…。」蝉の声がなりしきる、灼熱の太陽。大粒の汗をかきながらの練習。暑さのあまり、日陰に逃げ込む者が多い中。Zero君がNYさんのボレーの集中特訓が行われる…。右に、左に…。厳しいコースへ的確に打つNY氏とそれに応えて汗をほとばしらせながら喰らいつくZero…。私はそこに男の根性美学を感じずにはいられなかった。
 そんな中、Akakabaさんもコツコツとボレーの練習。見る見るうちに確率が上がる…。その初々しいひたむきな姿に、私はしなやかな女の初々しい美しさを見た…。
 私はそんな二人の美しさに胸を打たれつつ。暑さに頭をクラクラさせながら、ろくにテニスもせず、余計なことばかり考えている一人の真夏の30男であった。
 
ound 8
「やるラン」
 2001年7月15日。
 昨日は稲永の蝉。そして、この日は楠公園在住の蝉の声援を受けながらのテニス。傍らのプールでは、休日父さんの疲れ顔と子供達の喜ぶ声。
 そして、暑さは昨日と変わらないものの、時折、小牧空港から飛び立つ飛行機が純白の雲に吸い込まれる清々しい夏の青い空の下。6人の面メンバーが熱心に黄色いボールを弾く。
 「やる気ラウンダーズ」と銘打った、土曜午前以外の活動をこの日初めて行った。
 ほとんど、練習、試合もなく自由に思いのまま打ちまくる活動。
 二日連チャンはさっすがに疲れた。でもこういうのもいいよね!
ound 6
「結成初!」

 2001年7月7日 七夕。稲永コート。
 この日、結成後初の本格的活動日となる!
 メンバーの日頃の行いの良さか、前日まで雨だった予報が嘘のように晴れ渡った。晴れ渡り過ぎて返って暑いくらいの陽気である。この日、初の男性参加者(しかも上級者!)が2名訪れ、普段生ぬるい環境で行っていた男性メンバーにカツが入る!
 そして、明るい陽気の中、結成後初のメンバーの記念撮影が行われた。
 初参加の人も、集合写真に参加していただいた。
 「今後も参加してくれるかなぁ。」ふと、Zuboraさんの面影がNTの頭をよぎるのであった。
 

初参加のMさん。鋭いサーブでメンバーにカツ!
ound 5
「南郊でコテンパン!」
 2001年6月23日。
 本格的な梅雨シーズンに突入したが、運良く週末の天気は恵まれ、初期メンバーの交流も(必要以上に)高まり、チームの活動も軌道にのりつつあったこの日。ラウンダーズの前身メンバーに初の試練が訪れようとしていた。
 この日、午前中は少々の雨が降ったものの、活動に支障のある程度ではなく、8名程が参加して活動。
 そして、午後、ロワーズウィルテニスクラブに全員でビジター参加。急遽、初の交流試合とも言える練習試合を行った。
 しかし、結果は…。
 無残にも全戦全敗という結果に終わってしまう…。
 チーム全員で「一勝の難しさ」を奥歯で噛み締めた一日であった…。
 

善戦実らず…。
ound 3
「楠公園」
 2001年5月3日。
 おりしも、この日も朝から雨。
 本当に雨に祟られる我々のテニスであったが、開始時間直前になり、いきなり雲が切れ、晴れはじめる。
 「よし!決行だ!」
 すぐさまNTは皆に中止撤回の連絡をし、召集をかける。
 今までで最大の人数8名が集まった。
 そして、この日。掲示板登場から1ヶ月余の歳月を得てついにSYUYANAがその姿をはじめて皆の前に現した。そして、Coke氏もSeiten氏の紹介でもオブザーバーとして初参加。
 この後この2人は、チームの中心メンバーとして活躍することになる…。
ound 4
「吹上公園」
 2001年5月5日。
 朝7:30。新しいテニスラケットを手にしたRurulaとNTは開始時間の1時間前に既に吹上のコートに立っていた。
 真新しいウィルソンハンマーは想像以上に球への食いつき感が良く、「良い買い物だった!」と2人に実感させた。
 この日、SYUYANAがDJを初めてつれてきて、我々のテニスをいきなり国際色豊かな物へと変えてしまう。
 昼ビールを飲んだ後、更に午後からKazuコートでテニス。この日、延べ8時間近い時間テニスを行なった。
 酔っ払いテニスの快感を覚え始めた我々。ラウンダーズの本性をこの頃から現し始めたといっても過言ではない。
ound 1
「桜散る稲永公園」
 2001年4月7日。
 掲示板で出会った仲間と、ライバル会社の男が集まっての最初の活動。
参加者はNAGOYATENNISことNTと、Kazu、Zerozero
typeR、そしてライバル会社の男の4名。
 お互い殆どが初対面にも関わらず、テニス好きということでラリーを行なううちにすぐに打ちとける。
 互いに連絡先を交換し、解散。
 来週も集まる事を約束しあうのであった。
 Kazu氏の特徴あるサーブはこの頃からすでに「かまきりサーブ」との他のメンバーから囁かれるようになる。
ound 2
「Seiten&Zubora」
 2001年4月14日。
 名城庭球場での2回目の活動。
 クレーを嫌うSYUYANA氏は現れなかったが、NT、ライバル会社男、Zerozero、Zuborazubora、Seitenの5名が集まる。が、始めて30分でいきなり大雨に見舞われる。
 急遽活動は中止。その後みんなでコーヒーとドーナツを楽しんだ。 (この後ライバル会社男は、Zuboraさんの事をやぶれかぶれと誤ってしまう。これ以降、彼のハンドルネームはやぶれかぶれに決定する。)